2024年5月30日~6月30日にかけて、せかいのせっ展を開催いたしました。
芸術という接点で世界と触れる
遠く離れたイランで、作品を作り続けている美大生たち。
政治的、経済的な困難の中でも思考を止めず、芸術を愛し、前向きに夢を追う姿は、尊いものだと感じます。
どうか、私たちの応援がイランまで届き、大きな実を結んでくれることを願います。
Ms.Reyhane Shateriyan
2001年,イラン・カーシャーン生まれ,Hasheminejad大学ビジュアルアート学科専攻
絵を描くことは、自分自身が何者であるかを理解し、成功できるかもしれない唯一の方法
私がアートと絵を描くことに興味を持った唯一の理由は、絵を描くことが自分自身を見つけ、自分自身に満足し、成功できると感じる唯一の方法だと思ったからかもしれません....
私生活の中で話しにくい問題や課題を絵で表現
多くの人に私の作品を知ってもらえるように努力していますが、私はまだ若いアーティストなので、もっと有名になるために一生懸命努力しなければなりません。私生活の中で話しにくい問題や課題を絵で表現するように心がけています。問題や課題をより分かりやすくお伝えするために、絵画の題材にしています。
芸術は醜さを表現する方法
芸術が美を生み出すと信じている人もいますが、私の意見では、今日の芸術は醜さを表現する方法であるべきです。
イラン人であることは幸せ
私はイラン人であることをいつも嬉しく思っています。現在、経済的および文化的に状況が良くないことは事実ですが、私たちには非常に強い歴史と非常に豊かな文化があります。イランの歴史に言及するたび、私はイラン人であるという自分の背景を幸せに思います。私は日本人の皆様に、イランは想像以上に美しく壮観であるとお伝えしたいのですが、メディアはイランをひどく破壊しようとしています。ぜひ、真のイランを理解するため、イランに旅行にいらしてください。イランの人々はこぼれる笑顔と親切な心で皆様をお迎えするでしょう。
絵を描く能力を高め、絵だけで必要な収入を得たい
私はよく旅行をして、さまざまな国の文化や歴史に触れ、たくさんの友達を作るのが好きです。私の言語や文化を話さない人々とのコミュニケーションは、私にとって非常に興味深いものです。一方で、アートの分野でもっと成長したいと心から願っています。画材を購入するために必要な費用をこれまで芸術とは関係ないアルバイトで稼いでいましたが、早くアートのみで稼げるようになりたいと思っています。
Ms.Tuba Mokhtari
2002年,イラン・カーシャーン生まれ,Kashan大学手工芸学科専攻
アートは私たちに「よく見る」という贈り物を与えてくれます
私の意見では、アートは私たちに「よく見る」という贈り物を与えてくれます。これは非常に価値のあることです。また、自由で無法なアートが大好きで、アートは私にとって安らぎでもあります。
私にとって芸術的な仕事は自己認識のようなもの
この分野で働く私の目標は、自分の人生における日々の考えや葛藤を記録することであり、私にとって芸術的な仕事は自己認識のようなものであり、より多くのことを考えさせられ、仕事をすればするほど気分が良くなります。
「考える」「よく見る」という基本的な行為の大切さを思い出してほしい
「よく見る」というのは、日々の葛藤が多いために現代人が忘れがちな行為です。そして、現代人は多くの単純だが重要なことに注意を払いません。 私は自分の作品によって「考える」、「よく見る」という行為の大切さを現代人に思い出してもらいたいと思っています。
シルクロードによって育まれたカーシャーンは芸術が豊かな街です
イランは、伝統、慣習、歴史的背景、異なる文化、自然、芸術の点で非常に多様な国であり、古くからその特別な場所を維持してきました。
私の街カーシャーンは、陶器の分野で芸術的に非常に豊かであり、シルクに関する数千年の文明があり、カーシャーンは非常に多くの分野で芸術がよく育つ街です。
幅広い視野を持ち、カーシャーンの外の世界へ旅に出ることで自分の作品のレベルを高めていきたい
私の人生における最大の関心事は、単なる職人ではなく芸術家になることです。観客が作品に共感できるほど作品に情熱を注ぐことができれば、私は成功できると信じています。
私は数年前から絵を描いていますが、今は手工芸品の分野、陶器に興味があります。
私の個人的な興味は、陶芸の技法をよく学び、絵付けを上手に行い、陶器の器にユニークなアイデアを加えることです。絵画が単なるモチーフではなく、内容と意味に関連付けられるように努めます。シルク文明の素晴らしい歴史を持つカーシャーンにいることをとても嬉しく思いますが、幅広い視野を持ち、カーシャーンの外の世界へ旅に出ることで自分の作品のレベルを高めていきたいと思っています。
Ehsan Heli
2003年,イラン・カーシャーン生まれ,シャヒード・ラジャエイ(SRTT)大学グラフィックデザイン科
物を可能な限り認知し、人間を最大限理解するために、芸術を好きになり、そして芸術家になった
芸術は、言葉にできない思考や内なる欲望を表現できる唯一の道具です。
私は、自分自身の選択によって芸術を好きになったのではありません。
芸術や芸術家になることは、認知の扉を開いたり、理解するための人間の力を最大化する側面を持っているものだと思います。
芸術には常に最初から目的がある訳ではない
芸術活動は何か目的が明確になっている行動ではありません。自分が創作したものの結果が、喜び・痛み・自由という形によって決められるのは、いつも事後的です。
芸術は、ゲームやギャンブルに似ているかもしれません。
しかし、目的以上に重要なものや私が勝ち取りたいものは、芸術活動に自分が従事している状況の中にあります。
芸術活動は自分にとって探検のようなもの
私は、絵画や画像をメッセージを伝えるために使っている訳ではありません。
むしろ、探検をするために使っているようなものです。
しかし、私は様々な感情が自分の作品を通じて他者に伝わっていることや他者の心の中にある記憶や出来事を思い出させることができるのは嬉しく思っています。
芸術がイランの文化を継承している
イランは常に平和が追求されている国で、それは国民の振る舞いによっても明らかになっています。
様々な民族や多種多様な文化のあるイランの状況は、現代化や冷笑主義の方向に向かっています。
しかし、まだ多くの民族は共存し、独自の文化を紡いでいます。
これは、人々が「生きている」ことの表れです。芸術はイランの中で特別な立ち位置を持っています。
芸術は我が国にとって文化に密接に繋がっており、長い歴史を有します。
今日、芸術は、様々な芸術家による活発な運動があることを目の当たりにしています。
1つだけ美術館は、ご来館いただいたみなさまからのドネーション(寄付)によって運営されるパブリック美術館です。
なにとぞご協力をお願い申し上げます。
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